無間ごく

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強迫神経症

研究室には、画像アーカイヴ作成という手前上、
芸大在学生・出身者の方々が結構な確率でいらっしゃります。
その中に前回(2003-12-10)で登場したYKYさんもいらっしゃるわけですが、
どうも図々しいというか、ちょっと社会通念上、「??」なところが
あって損をしているように思われるので、どうにか諭したい気分に
させてくれています。

本日は仕事前に呼び出され、修士の卒業作品に出演してくれ、とのこと。
いや、いいんですけどね。強迫神経性の男の役。
ちっとも引き受けて嬉しい役でないのと、
口だけでも迎えに行きますよ、とか、いえないのかねぇ、この人は
とか本気で思いながらこれから出向くわけです。
…しつこいようですが、強迫神経症の役。

なんか、わしは演技なぞできないし、だいたい社会生活しているだけでも 十分演じているので、もう結構です、お腹一杯です、と声を大にして いいたいのですが、手伝いにいくというより、あの芸大の建物をもう一度 観察しておきたいので、当然大幅遅刻(当然この場合意図的)して ただいま移動中です。

もし面白ければ(大いに腹ダタシイ体験をさせてもらったとか)、 続きを午後に書くかも知れませんが、 いまのところ、そんなつもりはないので、 なければないで、あー、大したことなかったんね、 と判断して下さい。皆様。

えー。続報。やっぱ、面白かったりしました。
大江の『飼育』がモチーフになっている作品みたいですが、
それなりに「いるだけで十分」だったので、
あ〜、それなりにわしが演じている日常は演技になっているのか、
ということを再確認した次第。
しかも芸大生の作品素材として拾われたことは、あほ芸能関係者の目に とまるよりはまし。ということで。

選言

この「でも」は認容表現であるが、これは同時に選言と真理値が同じである。 この認容=選言は定言なら問題ない。
だが、これが約束とかに使われると問題が生じる。 問題はこのガキが遠足にいかない場合だ。 これは条件文(なぜ仮定文といわないかは去年書いた論文の結論部をみてくれ) と比較するとよい。 この場合、偽になるのは だ。 そうなると、 という命題は、 認容文と条件文とでは区別しなくてもいいのか、という話になる。
苦し紛れに考えたのが というものである。 雨なら行く、というなら、家が流されようが行けや。雨なんだからよ。
でも雨でも行く、というなら単なるお前の気合いというか決意だから、 勝手にせぇや。非常事態になってんのに 行くことあるかぁ? というやつである。
…ここのところがどうも弱い。家がガタガタ音立てて、親なんてとっくに 流されちまってんのに、それでも、雨だから遠足だぁ、なんてやっぱ おかしいよなぁ。
それにさ、強引にここから教訓を得るとすれば、約束するときは 必ず、とか、絶対とかつけた方がいいってことになるよな。 ってことは、例え…でも行きます、ってことだもんな。
絶対ってこんな風に解釈するととんでもないことになるけど、 ちょっと楽しいよね。
(行かなくてもよくなるんだもんね♪)

ちょっとあまりに研究していなくて、ちょっと焦って昨年の今ごろのこと、 思い出してみました。
あぁ、研究してぇ。
約束とか命令とかはやっぱ独特の論理が働いていたりするのかなぁ。
なんて考えるとわくわくしてくんね。

日本にいる意味

決して平和だから、とか、そういう理由ではありません。
アメリカ(ヤンキーは嫌い)と韓国(臭いのは嫌い)、 シンガポール(タバコを禁止しているので嫌い)以外には まっとうな速度の出るネットワーク環境が整っている国だからです。 (北欧といわれれば、女性もキレイなのでいいのですが、なんせ あちらの言葉は覚えるのが大変です。昔、ユッカというフィンランド人と 仲良くなりましたが、1から10までをフィンランド語でいってもらったところ 「おい、10まででいいんだぞ。100じゃなくていいんだぞ」と いったくらい数の呼び方が長い。こりゃ大変だ、と20才の私は思ったものです)

であるからして、ネットワークが真っ当につながらない日本にはなんの用も ないわけでありますが、私は不幸な星の下に生まれついているらしく、 プリンタとルータにはほとほと縁がないわけであります。

結局、最近何かと電話をする我がプロバイダー様が勝手にまたアカウントの ポリシーをかえていた(いやぁ、藤岡さん、3月から今までつなぎっぱなし だったんですねぇ、と言われたときには少し背筋が寒くなりましたが) ということで、解決。
下にも書きましたが、職場でのトラブルはルータ処理もしてくれている フロッピーファイヤーウォールの死亡が原因でした。

なくなるとわかるありがたみ、というか、あぁ、やっぱりインターネットとは 縁が切れない。もう絶対切れない。これがないとわしは何もできない。 ということを痛感させられる次第であります (設定の変更の仕方が分からず、つねに起動時にip拾いにいく わがDebianなんて、まさにインターネットの奴隷)。

なんかへこんでる

最近、叱られることが多いです。
例えば、本日。

サーバ(といってもファイヤーウォールだけど)が止まって、
原因はなんじゃらほい(とりあえずDNSがとれていない様子)と、
ところが、師匠はキレ気味。
「てめぇ(とはいいませんが)、マニュアル作ってやっただろ」
でも、原因は誰かがファイヤーウォールのフロッピーをいれっぱなしにしていたため、 文字通り人柱になってくれていたそのフロッピーがお亡くなりになっていた。
そういう顛末。
…こういうとき、必ずミスした人がいるのだが、
大体そういうときに限って誰も追求しようとはしない。
いいんだけどね。そういう性格のしとが多い研究室だということは知っているから。 (そのくせ、自分以外の人がミスすると執拗に追求したがるんだから。もぅ おこちゃまねぇ。)

おかげで、私がこうして叱られときましたよぉ。
画像サーバが死んでなくてよかったけどね。


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